頑張った先にあるもの

なんでそんな簡単なことができないのか?
なんで皆ができていることができないのか?
どうしてそんな難しく捉えるのか?
何が難しいのか?

いつの間にか『できることが当たり前』になっており、その当たり前を自身だけでなく周りの人にも当然のように求めていた。
しかしそれがどれだけ傲慢だったのか。
自分の意志とは関係なく弟の闘病、母親の介護、そして自身のうつ病、その他にも色々な問題が押し寄せ、私は身動きができなくなり、やりたくてもできない状況に陥りました。
そうなって初めて自分の言動が相手にとって必ずしも良いものでなかったことに気付き、自身の傲慢さに気付きました。

過去の傲慢な私が今の私を見たなら
『なんで皆ができている簡単なことができないのだろう?周りを困らせる人』
『難しいことなど一つも言ってないのに、なぜそんなに難しく捉えるのかわからない』
など『できない人』『困った人』という見方をすると思います。
私はそれを他人にやってきた。
私にとって、頑張っているという自負が前に進むパワーになった。
それ自体は良いことですが、相手にも自分と同じものを求め、できないのは頑張りが足りない、酷い時には怠けていると考え相手を見下すこともあった。
傲慢以外の何物でもない。
過去の自分を振り返り、人を思い遣ること、相手の立場で考えることが欠如していたことを恥じると同時に、あの時発した言葉や感情を受け取った相手のことを考えてしまいます。